“抱きたい”の奥にある、性の“承認欲”という本音

裏ログ日記

はじめに

セックスレスというテーマを語るとき、
どうしても「性欲」や「身体的な欲求」にばかり目がいきがちです。

でも、それだけじゃない気がしているんです。

僕が感じる「満たされなさ」の正体。
それは、“性”における承認欲
「求められたい」「認められたい」という、もっと心の奥の感情でした。


性欲は“処理”できる。でも「満たされない」

正直、性欲そのものは、自分で処理しようと思えばできます。
現代にはいくらでもコンテンツがあるし、手段もある。

でも…それで本当に満たされているかというと、全然そんなことはないんです。

処理したあと、ふと押し寄せてくる、
あの“虚しさ”や“孤独感”。

あれは、たぶん…
誰にも「求められていない」感覚なんだと思います。


“認められたい”は、“触れてほしい”に変わる

セックスの奥には、「男として認められたい」という願望が潜んでいます。

・誰かに「あなたがいい」と言ってもらいたい
・自分が“異性として”必要とされたい
・誰かの「性の対象」でありたい

そういう感情って、欲望というより承認の欲なんですよね。

それが、肌を重ねることで、ようやく肯定されている気がする。
触れることって、単なる快感じゃなく、「あなたはここにいていいよ」
という無言のメッセージでもあるんだと思います。


家庭では「父」や「夫」。でも、それだけじゃない

家庭の中での役割って、とても重たいです。
父親として、夫として、生活を支え、守る側であること。

でも、そうした役割の中では、
「男としての自分」はどこか置き去りにされていく。

妻からも「父親」として見られているのを感じる。
そこに違和感はなくても、これからこのまま「男として求められない」
そんな日々が続いていくのかと思うと、虚無感を感じてしまう。


性とは、心と心の“承認の交差点”

セックスって、ただの身体の交わりじゃない。
そこには、心のふれあいも、存在の肯定もある。

・触れられたい
・求められたい
・拒まれたくない

この一つ一つが、「存在を認めてほしい」という願いなんですよね。

だからこそ、セックスレスは、単に「身体の問題」では済まされない。
“心の孤独”が続く状態でもあるのだと思います。


おわりに

「性欲」と「承認欲」
切り離して語られがちなこの二つは、実は深くつながっていると、僕は感じています。

男と女が交わるということは、
身体以上に、心と心が交差すること

だから、セックスを通して得られる「承認」は、どんな言葉よりも強く、どんな評価よりも深い

このブログでは、そうした“心の声”にも、少しずつ耳を傾けていきたいと思っています。
もしあなたも、どこかで“承認されたい”と思ったことがあるなら…
それは、決して恥ずかしいことじゃないと、僕は伝えたいです。

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