家庭では得られない“男としての承認”

裏ログ日記

■ はじめに

昨日、僕は「異性からの承認は特別だ」と書いた。
仕事や友人、家族から得られる承認とは違い、心の奥に強く響く。

なぜかそれは人間がこの地球に誕生してから続く、
生命の連鎖によってDNAに深く刻まれてきた欲望だからだ。
(全ての生物がそうであるように)僕たち人間は子孫を残し、
次世代に繋いでいくことが最大の使命であり、
この生命の本質が変わることはない

異性との間で新しい子孫を作り、次世代に繋げていく。
そのためには異性から認められる必要がある。
弱くて異性から認められないオスは、自分の子孫を残すことができないのだ。

幸いにして、僕は妻という1人の女性から認められ、子供を授かることができた。
ただ、それでこの「異性からの承認欲」がなくなればいいのだが…決してそうではなかった

人類が紡いできた長い年月の中で醸成されてきた
異性から認められたい、求められたい」という欲望は非常に強固で、
常に僕の感情を揺さぶってきた。

では、その承認を家庭の中で得られるのだろうか?
答えは──残念ながら難しい。


■ 家庭で得られる承認の形

家庭の中には、かけがえのない承認がある。

  • 妻からの「ありがとう」
  • 子どもからの「お父さん大好き」
  • 家族のために働く姿を認められること

これらは僕の生きる力になっているし、かけがえのないものだ。


■ しかし“男として”は承認されにくい

ただ、それらは「夫として」「父として」の承認。
「男として求められる承認」とは別物だ。

セックスレスになってから、その差はより鮮明になった。
「あなたが男として魅力的だ」と言われることはなくなった。
「抱かれたい」と思われることもなくなった。


■ セックスレスを解消しようと努力した過去

もちろん、解消を試みたことはある。

  • 雰囲気を作ってみる
  • 話し合いを持ちかける
  • 自分なりに改善しようと努力する

けれど、そのたびに拒まれ、失敗に終わった。
「またダメだった」という感覚が積み重なり、僕の中の“男としての自信”はどんどん萎んでいった。


■ 結果として抱いた感情

家族からの承認だけでは、どうしても埋められない部分がある。
「父親」「夫」という役割を満たす承認と、
「男」として求められる承認は、決して同じではない。

その事実に気づいたとき、僕の中に深い虚しさが残った。
心にぽっかり穴が空いたような感覚だった。

もう異性から求められるということは、これからの人生において無いのか…
僕の意欲や自信が大きく揺らいだことは言うまでもない。


■ おわりに

家庭での承認は大切だ。
でも「男としての承認」を家庭の中で完結させることは難しい。

次回は、「男としての承認」がなぜ特別か──
その理由を考えていきたいと思う。


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