物もエンタメも溢れているのに「満たされない」のはなぜか
今の時代、食べたいものはすぐ手に入るし、眠る環境だって整っている。
AmazonやSNS、動画サブスクで物も娯楽も、何でもそろう。
それでも「何かが足りない」と思ってしまう…
その足りない“何か”の正体は、きっと「性欲」と「承認欲」だと感じています。
「性欲」も「承認欲」も、“相手が必要な欲”
人間の三大欲求「食欲・睡眠欲・性欲」のうち、
食欲と睡眠欲は、比較的コントロールがしやすい。
けれど、「性欲」だけはそうじゃない。
自分ひとりで“処理”することはできても、
本当の意味で「満たされた」と思えるのは、相手とつながった時だけ。
同じように、「承認欲」もまた他者がいて初めて成立する。
「誰かに認められたい」「必要とされたい」「愛されたい」
そんな気持ちは、自分の力だけではどうにもならない。
現代人は“満たし方”を忘れた?
たとえばSNSの「いいね」や通知は、手軽に承認欲を満たしてくれる。
でも、それは刹那的で軽い満足。
深く「誰かに必要とされている」「認められてる」と実感できるような承認は、
リアルの人との関係性の中にしかない。
けれど、今は「会話」よりも「既読」、「スキンシップ」よりも「スタンプ」
どこかで、人との関わりを避けるようになっている気もする。
僕の場合、セックスレスがそれを浮き彫りにした
セックスをしなくなってから、自分の中の性欲だけでなく、
「男として認められたい」気持ちまでしぼんでいった。
誰にも求められていないような、透明な存在になったような気がして、
自己肯定感もじわじわと削られていった。
「性欲」=単なる本能
「承認欲」=精神的な満足
──なんて分けて考えていたけれど、
実際は、この2つは密接につながっているのかもしれません。
本当に欲しかったのは、「分かち合える関係」
セックスでも、会話でも、
“自分をさらけ出しても受け入れてもらえる”という実感が、
本当は一番欲しかったものなんだと思う。
それを求めることは、決して「甘え」でも「弱さ」でもない。
人間が人間らしく生きるための、根源的な欲求なんだと思っています。
おわりに|埋まらない空白と、これからの話
このブログを書きながら、
「欲望」・「欲求」とは単なる衝動じゃなくて、
生きるための道しるべなんじゃないかと考えるようになりました。
満たされていないと感じることが、悪いわけじゃない。
その“渇き”があるからこそ、人は人と繋がろうとするのかもしれません。